子どもたちが、中学生になった頃の我が家の話
子どもたちが中学生になった頃、我が家は毎日が小さな嵐のようでした。
理由もなく不機嫌になることが多くなり、子どもの感情に振り回される毎日でした。
- 「おはよう」と声を掛けただけで怒り出す日。
- 元気に自分から挨拶する日。
- 話しかけても聞こえないふりする日
- 逆に、学校の話を止まらない勢いで話してくれる日
昨日あんなに楽しそうに話していた学校の話の続きを聞こうとしても、

忘れた

えー、わかんない

いや、いや、昨日楽しそうに話してくれた同じ話でしょ!なぜ、「忘れた」「わからない」になるかな
こんなふうに、一貫性のない態度に毎日翻弄され、時には耳を疑いたくなるような暴言を吐かれることもありました。
正直、悲しくて、つらくて、毎日が憂うつでした。
この頃の私がしていたこと
子どもが反抗期に入ったなと感じたのは、娘も息子も小学校6年生の頃でした。
特に、長女のときは初めてのことで、戸惑うばかり。
この毎日をどうにかしたくて、私は図書館に通ったり、ネットで調べたりと、
思春期に関する情報をとにかく集めました。
その中で出会った言葉―
この言葉を知ったとき、少し心が軽くなったのを覚えています。
- 「今だけなんだ」
- 「これは成長の証なんだ」
さらに、思春期にはある程度確立された対処法があることも知り、私は反抗期の子どもへの接し方に関する本を何冊も読みました。
調べれば調べるほど、私の中の「どうして?」が「そうだったのか」に変わっていきました。
思春期の理解こそが解決策だった
本を通して知った、思春期は一過性の通過儀礼という言葉は、当時の私にとって救いでした。
それまで私は、子どもの反抗的な態度や暴言を「親への攻撃」だと受け取ってしまい、深く傷ついていたのです。
- 思春期の子どもは、自分自身でもどうしていいかわからない混乱の中にいる。
そう理解したとき、少しずつ子どもとの距離の取り方が変わっていきました。
「なんでそんな言い方するの?」と反応する代わりに、
「今はそういう時期なんだ」と、一歩引いて受け止められるようになったのです。
反抗期を乗り越えるために、子どもを変える必要はありませんでした。
必要だったのは、私自身の受け止め方を変えること―思春期を“知ること”だったのです。
そうして私は、つらかった子どもの反抗期を、少しずつ乗り越えることができました。