「ほまれ」澤 穂希の自叙伝の中で心を打たれたのが母の存在。母の言葉。
女子サッカー不遇の時代のなかで、14歳で代表入りして以来、日本女子サッカー界を牽引する澤 穂希(ほまれ)の裏には、苦悩、不安、並ならぬ努力がありました。
小3で少年サッカーチームのなかで確固たる地位を築きます。
しかし、彼女の苦悩は、小学校時代からはじまります。
男の子に試合中にスパイクを蹴られ、相手の男の子を追いかけ回す。
全国大会にチームが出場したが、女の子ということで大会に出られない。
その後の母は、澤 穂希(澤 ほまれ)に言葉をかけます。
「将来『澤穂希(澤 ほまれ)』という女の子は、サッカーを続け、こんなふうになりました』と、その男の子に胸を張れるよう、しっかりがんばりなさい」
そしてまた、母は、「チャンスの波に乗りなさい」と
彼女に伝え続けます。
母の言葉、母の存在が、澤穂希(澤 ほまれ)のチャレンジの原動力になっているのだと思いました。
子育てをする上で母親の存在、母親が子に伝える言葉は、子供の人生を大きく変えるほどの影響力になっているということは学ぶところです。
12歳で強豪ベレーザ、14歳で日本代表、アメリカへ渡る。
アトランタオリンピック、アテネオリンピック出場。
1995年から女子ワールドカップ4回連続出場。
2004年アジアサッカー連盟女子MVP、2008年東アジアサッカー選手権MVP受賞。
そして、FIFA女子ワールドカップで優勝。得点王、MVPを受賞。
なでしこジャパン中心選手。
輝かしい経歴ですが、彼女はこの経歴を女子サッカー不遇の時代の中切り開いてきました。
日本女子サッカー界を牽引する澤 穂希(ほまれ)は日本女子サッカー界で、中心選手にならざるを得なかった環境にありました。
澤穂希(澤 ほまれ)という一人の女性の生き方
そのキーワードは、想像以上の強い精神力、想像以上の努力、そして謙虚さでした。
特に謙虚さは彼女の魅力であり、愛される選手である理由でもありました。
印象に残るワールドカップの決勝戦で彼女のゴールシーン
あのときも彼女は、『チャンスの波に乗りなさい』
という母の言葉どおり、チャンスを逃さずチャレンジをさせました。
日本を代表する人物の自叙伝は、学ぶところが多いです。
澤 穂希(澤ほまれ)自叙伝から、たくさんのことが学べます。